断捨離
お久しぶりです。ここのところ蒸し暑い日が続いてます。巷は節電節電とかまびすしいですが、こう暑いとやはりエアコンのスイッチに手がのびてしまって・・・これではダメですね。
さて今回は、最近私が興味深く読んだ1冊の本をご紹介します。
これ↓
『断捨離』(だんしゃり)。去年くらいからさまざまな方面でとりあげられ、話題になっている言葉ですが、元々はこの本の著者、やましたひでこ女史が提唱されている整理整頓術・生活術・人生哲学のことです。もうよくご存知の方も多いことと思いますが、その大意は、いらないモノは手元に置かず(断)、それがあれば処分し(捨)、モノへの執着から逃れて楽になる(離)ということ。そして、手持ちのモノの必要・不必要の判断基準を、常に現在に定める。例えば、
●昔病気した時にもらった千羽鶴。退院後自宅へ。完治した今でもホコリだらけで壁にかかっている。
●通販で衝動買いした英会話のテキスト、今は忙しくてできないけれどいつかペラペラに!でも購入後何もせぬまま年月が経過。
こうしたモノを思い切って処分し、今この瞬間にやりたいこと、やるべきことに目的を絞ったモノのみを手元に置けばいい・・・本書ではこういった方法論が、さまざまな事例とともに展開されていきます。
私も読んだ直後は、「これはイイかも!さっそく実践!」と思ってまずは自室の押し入れから整理を始めてみました。すると出るわ出るわ、学生時代使っていたアルミ製のところどころ凹んだペンケース、運動会の徒競走やマラソン大会で常に下位に沈んでいた自分を変えたくて、「練習すれば速くなる!」と意気込んで買ったストップウォッチ付きの時計・・・etc.この本を読んでいなかったら、引っ越しなど私の身辺に大きな変化などがないかぎり、こうした過去の遺物はおそらくこの先もずーっと押し入れに眠ったままになっていたでしょう。
ただし、整理を続けていると、今必要ない、後々もムダだ、とよくわかっていても、どうしても捨てられない、捨てたくないモノも多くあることに気づきます。
例えば古いCDやらアナログレコード。何かと忙しくなり、音楽の嗜好も聴き方も変わった今では取り出すことがなくなりましたが、これらは若かったころ、懸命にアルバイトや節約を重ね重ねて手に入れてきたものがほとんど。手にしたら必ず、当時のさまざまな思い出や流行などが、写真のアルバムなどを見るよりも鮮やかに蘇ります。
さらに昔は使っていたもののいつの間にかいらなくなっていたものが、あるとき急に入り用になるケースだってあります。わが家ですと、
私の母が大昔、何かの健康をテーマにしたテレビ番組に感化されて買ったダンベルが、使われなくなってから長いこと部屋の隅に放置されていたにもかかわらず、家族皆が捨てるのを面倒がってそのままになっていました。
しかしその後、当店の仕入れ先の従業員の方が、腰を痛めて辞職に追い込まれてしまったことがありました。また当時の私は太り気味で、これは何とかしないといけない、自分もそのうち腰をこわすかも、と感じていたこともあり、健康への関心が高まっていたのです。そんな時「短期・短時間で効率よく引き締めて鍛えるダンベル体操」といったようなことが書かれた実用書を本屋さんで見つけたことがきっかけで、母が買ったこのホコリだらけだったダンベルが突如、私の手に渡り再び日の目をみることとなりました。
今では体操の目的や内容の変化により、使っているダンベルが変わりましたが、始めたい、と決心したとき既に手元にあったおかげで気持ちが醒めないうちに取り組むことができましたし、やり始めに体操のコツや要領をつかむ過程で大いに役立ちました。さらには体型を絞ることにも成功。もちろん腰に一度も不安を感じたことはなく、現在に至っています。
・・・少し話が横道へ逸れてしまいました。このように、本書が述べる方法論に沿って、すべての身の回りのモノの必要・不必要を、現在の時間軸に置いて判断することは、実際にやってみるとなかなか難しいようです。
ただし、それまで築きあげてきたもの、大切にしてきたものが一瞬にして失われる、がれきの山と化すこともあります。先日の東日本大震災、そしてもちろん、ここ兵庫県で起こった阪神・淡路大震災などの大きな自然災害で、我々はそのことを思い知りました。
こうした地震・災害の恐怖さめやらぬ、そして未曾有の不況によりヒト・モノ・カネの流れに以前のような勢いが失われた今、本書で述べられていることは、今後も注目に値する、そしてさらなる進化が求められていくのかもしれません。


